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アンバサダー
ロンドンパラリンピックに向け3名のアンバサダーをご紹介しています。
ケリー カートライト 人生とスポーツに対する情熱
ケーリー カートライト プロフィール
1989年生まれ/陸上競技選手
2008年
北京パラリンピック競技大会出場
2011年
世界選手権にて走り幅跳びで世界新記録を樹立、100メートル走で金メダルを獲得
ケリー カートライト:「人とはやり方が違うことがあるかもしれないけれど、私はそれをやり遂げます。」
ケリー カートライトにとって、スポーツはいつも大切なものでした。「しかし、現在と同じほど重要であった訳ではなく、ほとんど趣味のようなものでしたが、切断後に私の人生の中でスポーツは一番大切なものになりました。」と認めています。オーストラリアのパラリンピック協会のスカウトに発掘され、ケリーは2008年にナショナルチームの一員に抜擢され、北京パラリンピック大会では100メートル走の決勝に残るまでになりました。パラリンピックでの特別な雰囲気にもすでに慣れ親しんでいて、再びその経験ができることに心を躍らせています。「パラリンピック大会にはとても大きな幸福があり、誰もが他の誰かを支えています。どんな障害をもっていようと、世界中の誰もが自分の国の代表になれることができます。誰もがプロの競技者として、同じように迎えられます。」
今年開催されるパラリンピックへの準備として、ケリーは一週間に8から10のトレーニングセッションをこなし、レバークーゼンではハインリッヒ ポポフと一緒にトレーニングも行なっています。この間にオットーボックの技術者はケリーの競技用義足を最善のものにするために改革を始めました。2012年が前途有望であることの前触れとして、ケリーがは今年の1月にアデレイドで200メートル走の世界記録を作りました。
ケリーに人生のモットーを聞くと、「障害があろうとなかろうと、やりたいことは何でもできます。私に障害があることで何ができないかと多くの人から聞かれます。考えつく唯一のことはハイヒールが履けないことくらいです。障害のために他の人とは違うやり方ですることもいくつかありますが、しかしそれをすることはできます。」という答えが返ってきました。
ケリーはこの考え方を他の人々と共有するために、切断をしなければならない若い競技者と話したり、学校を訪問して競技から体験したことについて話したりして、聴き手の意欲を引き出します。2009年にキリマンジャロの登頂に成功したことも長い間計画を練っていた訳ではありません。オーストラリアの小児病院を支援しているハンプティ・ダンプティ基金から登頂サポートの申し出を受けたことがきっかけだったのです。「登頂は精神的にも肉体的にも今までで一番辛いことでしたが、同時にそれは私の人生にとって最も魅力的な体験になりました。」
そんな経験を追い越せるのはロンドンで金メダルを取ることだけです。ケリーの両親はパラリンピックを観戦する予定です。母親は英国出身なので、ケリーは競技に参加するだけでなく、会ったことのない親戚に会えるのも楽しみにしています。
主な成績
2012年
オーストラリア アスレチック ツアーのアデレイド大会にて200メートル走で世界新記録を樹立。
2011年
ニュージーランド、クライストチャーチで開催された世界選手権にて100メートル走と走り幅跳びで優勝。
2009年
オーストラリア、ダーウィンで開催されたオセアニアパラリンピック大会にて100メートル走と200メートル走で優勝。
2008年
パラリッピック競技大会に初めて出場、100メートル走の決勝で6位に入賞。
スベトラナ モシュコビッチ の人生とスポーツに対する情熱
スベトラナ モシュコビッチ プロフィール
1983年生まれ/ハンドバイク選手
2011年
UCIパラサイクリング世界選手権大会(スペイン)にて13kmで5位、36kmで6位、同大会(カナダ、ケベック)にて43.2kmで3位
2012年
ブエルタ プラヤ ブランカ(スペイン、ランサローテ)にて優勝
メダルを獲得するという夢を実現するために、スベトラナ モシュコビッチは1日に40マイルを走行するというトレーニングを毎日続けています。2011年には少なくとも27のレースに出場しました。これがあったお陰でモビリティを取戻す力を得られました。「ハンドバイクでレースをしている間、私は完全に自由になれるのです。」
「多くの障害を持った人々をこのスポーツで刺激したい、他の人々も戦い続けるべきということを判ってもらいたい。私はこれまでの人生において、いつも丁度良いタイミングで素晴らしい人々に出会ってきました。そのことにより希望を失わずにつねに前向きに考えることができるのです。限界を克服することでのみ報われることができます。」
彼女は2004年に交通事故に会い、6ヶ月間病院のベッドから離れることができませんでした。その後車椅子の生活を強いられることになりました。当時は座位をとることが難しかったのですが、ハイデルベルグでの手術が変化をもたらしました。医師の1人がそこでのトレーニングにスベトラナを招きました。
ハイデルベルグでリハビリテーションを行なう間に受けたアーチェリーのレッスンが彼女の運動への意欲を引き起こしました。2008年の秋、マンフレッドザウアー基金の医療センターで毎日見かけるグループに興味を持ちました。「彼らは車椅子に背筋を伸ばして座り、様々なことを楽しんでいるように笑い合っていたのです。」スベトラナはオットーボック社のハンドバイクのチームの青年に確信をもって近付いて行きました。
ネッカー川沿いに最初のツアーに出ましたが、今までの人生の中で経験したことのない筋肉痛を味わうことになりました。初めてのハンドバイクによるマラソンで最後から2番目にゴールしたのです。「それはものすごく楽しく、チームメンバーは皆優しかったので、トレーニングを続ける気になりました。失望したくなかったのです。」それ以来、スベトラナはヨーロッパ選手権、世界選手権でトップの位置をキープしています。
2012年の春、ブエルタ プラヤ ブランカでの優勝とともにランサローテでのトレーニングキャンプが始まりました。彼女は、そこで3週間のトレーニングを共に行なうオットーボック社のハンドバイクチームを第2の家族と表現し、「チームメンバーは私にどのようにしたら1人で日常生活をおくることができるかを教えてくれました。彼らの経験から多くのことを学びました。4年間のブランクの後に1人でバスに乗って町を回れた時には信じられないような気持ちでした。」と語っています。
主な成績
2011年
スペインで開催されたUCIパラサイクリング世界選手権大会にて13kmで5位、36kmで6位に入賞
2011年
カナダ、ケベックで開催されたにUCIパラサイクリング世界選手権大会にて43.2kmで3位に入賞
2012年スペイン
ランサローテで開催されたブエルタ プラヤ ブランカにて優勝
2012年ロシア選手権にて優勝
2012年イタリア、ローマで開催された世界選手権にて3位に入賞
2012年ドイツ、エルザックで開催されたヨーロッパ選手権にてロードと予選で優勝
ハインリッヒ ポポフ の人生とスポーツに対する情熱
ハインリッヒ ポポフ プロフィール
1983年生まれ/陸上競技選手
2004年
アテネパラリンピック競技大会にて100メートル走決勝で3位、2008年北京大会で2位に入賞。 ロンドン大会は3回目のパラリンピック競技大会となる
2011年
100メートル走と走り幅跳びでワールドチャンピオンとなったハインリッヒ ポポフがロンドン大会で目指すのは?
困難をチャンスに変えたハインリッヒ ポポフ の人生のモットーは「立ち止まらずに前に踏み出すこと」です。9歳の時にハインリッヒはボンの病院で骨肉腫のため大腿切断の手術を控えて病院のベッドに横たわっていました。その時に思いもかけない人物が見舞いに訪れ、何時の日か再びスポーツをする事ができるだろうと保証してくれました。「君は再び何でもできるようになる。他の人よりほんの少しだけ努力をすれば良いだけだ。」と言いながらその人物はズボンの裾をまくり上げ義足を見せ、パラリンピックの自転車競技の選手で1990年にドイツ選手権の個人タイムトライアルに優勝したアルノ ベッカーだと自己紹介をしました。
「私は障害があるにも係らず...ではなくて、障害があるからこそスポーツをするんです。スポーツのお陰で日常の生活でも障害を感じることはありません。」と明言しています。彼の目標はロンドン大会の100メートル走で金メダルを取ることです。
2002年からハインリッヒはドイツのTSVバイヤー04レバークーゼン総合スポーツクラブ(陸上競技で何人ものオリンピックのゴールドメダリストを輩出していることで有名)のプロサッカーチームのITオフィサーとして働き、仕事とトレーニングを上手く調整しています。「ここは障害者の競技者にとってドイツ国内で一番良い環境です。」オリンピックレベルの陸上競技の施設を利用して、コーチのカールハインツ デューや健常者のトップ競技者のグループと一緒にトレーニングをしながらそのように語っています。
ハインリッヒは学校の体育の授業に招かれこともあり、競技だけでなく目的を必ず達成する人物として大変人気があります。切断手術を控えている若者がいるボンの病院や他のドイツ国内のクリニックと連携をとり、かつてアルノ ベッカーが彼を励ましてくれたように、そんな若者と将来について語り合うこともあります。そしてそれは24歳の青年に取っては大変意義のあることです。若者たちがリハビリテーションを終えて退院すると彼はレバークーゼンに招待します。「スポーツのトレーニングではないけれど、歩く時に義足を信頼するようにと教えています。」人によっては、スポーツをすることはまだ早いかもしれないが、オリンピックレベルの競技施設内での雰囲気は確実に伝わっていることでしょう。
主な成績
2012年
オランダ、スッタズカナールで開催されたヨーロッパ選手権にて100メートル走で金メダルを獲得
2011年
ニュージーランド、クライストチャーチで開催された世界選手権で100メートル走と走り幅跳びでワールドチャンピオンになる。
2009年
インド、バンガロールにて開催された世界車いす・切断者競技大会 (IWAS World Games)にて200メートル走と4X100メートルリレーで金メダルを獲得。
2008年
北京パラリンピック競技大会にて100メートル走で銀メダルを獲得。
2007年
台湾、台北で開催された世界車いす・切断者競技大会 (IWAS World Games)にて100メートル走、200メートル走、走り幅跳びでそれぞれ銀メダルを獲得。
2006年
オランダ、アッセンで開催された世界選手権にて走り幅跳びで銅メダルを獲得。
2005年
フィンランド、エスポーで開催されたヨーロッパ選手権にて走り幅跳びで銀メダルを獲得。
2004年
アテネパラリンピック競技大会にて100メートル走、200メートル走、走り幅跳びでそれぞれ銅メダルを獲得。
2002年
フランス、リールで開催されたヨーロッパ選手権にて走り幅跳びで銅メダルを獲得。