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テクニカル修理サービス
サービスの歴史
パラリンピックにおけるオットーボック社の活動

オットーボック オーストラリアから4名の義肢装具士が参加。 小さなパビリオンを設営して、選手に無料で修理サービスを提供しました。
1988年ソウルパラリンピック競技大会はその当時では史上最大の規模で、万全の設備が完備された大会でした。オリンピックで使用された重厚で素晴らしい競技場において、パラリンピックの選手も競技をすることができるという新しい時代が開かれました。この大会において、オットーボックは初めて全ての競技者に無料で修理サービスを提供しました。
* 開会式の観客動員数のみ

1992年のティーニュ、アルベールビル冬季大会では365名のうち女性競技者は77名だけでした。
ティーニュ、アルベールビル冬季パラリンピック競技大会は、オリンピックの開催地と同じ場所で開催された最初の冬季大会でした。オットーボックはこの大会で冬季大会としては初めて修理サービスを提供しました。
* 観客動員数に関してのデータなし

オットーボック社は3,001名の競技者が滞在していたパラリンピック村に移動式の修理サービス用のワークショップを設営しました。
前回のソウル大会は重要な節目となる競技大会でした。そこでは競技者と熟練した義肢装具技術者が密接に連携して、素晴らしい成果を得ることができました。バルセロナではオットーボックはフル装備の移動式の義肢装具ワークショップを設置し、パラリンピアンが初めて熟練した技術者のもとを直接訪れることができるようになりました。
* 開会式の観客動員数のみ

修理サービス用のワークショップでは、25名の義肢装具技術者が1,100の修理を提供するまでの規模に拡大しました。
アトランタにおいてもパラリンピックは拡大の一歩をたどり、前回より多くの競技者が参加しました。一般の人々の関心も高まり、40万人に近い人々と2,000以上のメディアが競技場に足を運んで観戦しました。それに伴いオットーボックのワークショップにおいても、修理の数が増えてゆきました。

1998年には日本の長野において、ヨーロッパ以外で行なわれる初めての冬季大会が開催されました。
若いカナダ人の下腿切断者Mark Ludbrookはトレーニング中に義足足部のアルミニウムでできた接合部分を壊してしまいました。ワークショップで5時間に及ぶ修理の結果、義足はほとんど新品の状態になり、Markは競技コースに戻って行きました。この長野でのオットーボックの修理サービスチームはドイツの義肢装具マイスターの資格と日本の義肢装具士の資格を持つ月城慶一氏によって統率されました。

オットーボックの修理サービスチームは11カ国から参加した60名の義肢装具技術者で構成されました。
南アフリカから参加したFanie Lombardは5種競技の首位に立っていましたが、膝継手のアンカーが外れ義足が壊れてしまいました。試合会場において直ちにオットーボックの技術者が修理にあたった結果、彼は競技に戻り金メダルを獲得することができました。この大会では観客動員数は120万人に上り、アトランタの2倍以上の数になりました。

この大会ではパラリンピックに対する人気が高まり、初めて観戦チケットの予定販売数を増やすことになりました。
スロバキアの選手Iveta Chlebakovaはスキー大回転の競技の前日に、オットーボックの修理サービスワークショップに義手を持ってやってきました。コスメチックグローブの中の義手は粉々に壊れていましたが、チームは一晩かけて全く新しい義手を作り上げました。次の日、銅メダルを獲得したIvetaはワークショップに戻って来て、技術者のRobert Laermannにメダルを見せ、お礼の印として自分のゼッケンを手渡しました。

68名の技術者が修理サービスセンターで2,000件以上の修理サービスを提供しました。
イランの車椅子バスケットボールチームの願いはパラリンピックで競技をすることでしたが、アテネに到着した時にその願いは危うく消えるところでした。非常に重要な小さなワッシャーが無くなってしまい、車椅子で競技できない状態になってしまいました。イランの選手たちは翌日に試合を控えており、充分な時間が取れない状況の中、チーム全員の車椅子のパーツを付け替えるのは非常に時間のかかる作業でした。「とにかく速く即席で仕上げる。」はその日の合言葉になりました。

トリノ冬季パラリンピック大会から車椅子カーリングが競技種目に加わりました。
ベラルーシのLiudmila VauchokとアメリカのGreta Khndzrtsyanは開会式の旗手を務めることになっていました。開会式が始まる数時間前に両名の車椅子の旗を取付ける部分の金具が壊れてしまいました。直ちにセストリエーレにあるオットーボックの修理ワークショップで新しい金具が溶接され、両名は開会式が始まるまでにトリノのオリンピックスタジアムに到着することができました。

オットーボックの技術者は大会期間中、夜昼なしで働き、2,188件の修理サービスをこなしました。
マダガスカルからやって来たJosefa Harijaonaはアルミニウムと革で作られた古い義足を修理してもらいにやって来ましたが、オットーボックの技術者は時代遅れの義足を治すのは難しいと判断し、新しい義足を作ることを提案しました。Josefaはお金がなかったので、この申し出を断りましたが、お金を払う必要がないと言われた時には耳を疑うばかりでした。

「1人の力が皆を動かす」というテーマのもと、バンクーバーでの開催式には5,000名以上の現地のパフォーマーが参加しました。
国際パラリンピック委員会との共催で、オットーボックは「モーション スピリット-私たちを動かしているものを見てみよう」という一般公開の展示会をウィスラーの中心部で開催しました。約25,000人もの人々が会場の呼称である「スノードーム」を訪れ障害者スポーツの競技の歴史や背景にある技術に大きな興味を示しました。

オットーボックが修理サービスを提供してから12回目の大会になりました。80名の義肢装具士、車いす技術者、溶接の専門家が参加してチームを構成しました。
各国から集まった専門家による修理サービスチームは10,000時間以上をかけ、パラリンピピアンがトレーニングや競技で使用する機器の修理を2,062件以上実施しました。3ヶ所のパラリンピック村に修理センターが設営されたばかりでなく、9ヶ所の競技会場やウォームアップトラックにも修理ブースが設営されました。マラソン競技用には、移動式の修理ワークショップが配備されました。

ソチ2014パラリンピック冬季競技大会の参加アスリートは、パラリンピックにおいて13回にわたる修理サービスの実績を持つオットーボックサービスチームの頼もしい30名の技術者によってサポートされます。
2カ所の選手村と3ヵ所の競技会場に修理センターが設営されます。ぶつかり合いの激しいアイススレッジホッケーの試合ではたくさんの修理が発生すると予測されるため、チームにはスレッジを修理する溶接の専門家も含まれています。また、開会式、閉会式にて、チームを率いる車いすユーザーの旗手が使用する旗を受けるホルダーの取り付け作業も任されています。